No.21今から死ぬまでの生き方について 多分セネカ1

open.spotify.com

こんにちは今回の読書感想文は私の今から死ぬまでの生き方について考察です。それ読書感想文じゃねぇじゃん

 


最良の敵は良

私はですね、もし今から1ヶ月後に死ぬ時が来たら、きっと嫌いなことをするのはやめて、好きなことだけを目一杯しようと考えているんですね。

そしてその時、絶対私は、こんなことなら死ぬ1ヶ月前よりももっと前からこうしておけばよかったと、絶対自分ならそう思うと思ってるんですよね。

 


死ぬ1ヶ月前よりももっと前、それ今じゃん!ということで今から常にそう生きられるように、常にその意識を忘れないように生きたいと、そう思ってるんですよね。

 


ところでですね、最近ふと突然、私の頭の中で次のような考えが出てきたんですよ。私にとっては不都合な考えなのですが

 


今から死ぬまで好きなことをすると思っていたが モデルに問題があるのではないか?今から1ヶ月後に死ぬとして、それまで全く健康な状態でいるという想定が非現実的ではないか?

 


実際に1ヶ月後に死ぬとしたら、寝たきりではないか、好きなことすら出来ない状態ではないか?

体はもう動かないし、自分が誰かもわからないのではないか?実際の死ぬまでの1ヶ月は好きなことすらできない1ヶ月ではないか?

 


ただ、実は好きなことができなくなることすら実は良いことなのではないか、などと考えてしまうようになったんです。むしろ、それがいい

 


寝たきりになることが、もっとも幸福を感じられる最高の状態ではないかと

 


寝たきりになり、自分が誰かもわからなくなる。それはまるで赤ん坊のようになるかのようだ。生まれる前の世界に帰っていく

 


そして好きなことすら2番目でしかない。例えば、1番好きなことをする、ということすら2番でしかない。

 


1番は時間。大切な1番を使って、果たして2番を行っていいのだろうか?

 


私たちは大切なことが満たされると、それよりも価値が低いことを実行するんですよ

 


空気とパン

例えばあなたがある部屋にいるとします。テーブルがあって、その上に皿に乗ったパンがあるとします。あなたはお腹が空いています。おそらくあなたはパンを食べるでしょう。お腹が空いているんだから。

 


しかし突然その部屋から空気がなくなったとします。あなたはパンを食べるでしょうか?お腹が空いているんでしょう?食べ続けますか?

 


おそらく食べることをやめてどうにか呼吸しようともがくことでしょう。パンを食べることなど頭から吹き飛んでともかく酸素を確保しようとするでしょう。

 


人は食事をしなくても3日生きられるそうです。ところで人は酸素を吸わなければ、何日生きられるでしょう?おそらく1分ももたないでしょう。つまり、呼吸をすることは食事よりも重要で、食事は呼吸よりも重要ではないということです。

 


さて空気のない部屋でもがいていると、部屋の中を再び空気が満たしました。あなたは充分、空気を吸い、呼吸を整えました。気持ちが落ち着くとあなたはお腹が空いていたことを思い出します。

 


あなたは息を吸うでしょうか?先程死に物狂いで求めたように、まるで渇望するかのように、呼吸するでしょうか。

 


おそらくそうはしないでしょう。空腹であることを思い出したあなたは食事を再開するでしょう。

 


空気が満たされたので、食事よりも重要な呼吸をやめ、呼吸よりも重要ではない食事を行うのです。

 


重要なことが満たされたので、重要ではないことを行うのです。大切なことが満たされると、それよりも価値が低いことを実行してしまうのです。

 


文明的な都市の生活の中で、人々が堕落した行動、犯罪だとか賭博、パソコンの画面でアダルトサイトを見るなどという行動を取り続けるというのは

 


実はそれだけ、私達が生きている社会は私たちにとって重要なものの多くを満たしている素晴らしい社会だと捉えることができるでしょう。

 


その証拠に先進国で生きる私達はおそらくかつて人類を震え上がらせた飢饉や飢餓に苦しんだ体験を持っていないはずです。

 


たとえ体験してしまったとしても100年以上も慢性的にそれに苦しめられるというとはないでしょう。すぐに科学的に分析され、国際的な協力体制のもと対策がとられるだろうからです。

 


まったくほとんど私たちの生命の危機に関係ない、価値のないことに取り組める社会とはそれだけ素晴らしい社会だといえるのです。

 


しかし私達はその世界で本当にしたいことはくだらないことなのでしょうか。そんなにも恵まれて、様々な自由な行動ができるようになった社会で私たちが打ち込みたいものはくだらないことなのでしょうか。

 


そんな私たちにも終焉のときが訪れる。この世界を去らなければならないときが

 


その時、全てが吹き飛ぶでしょう。酸素のなくなった部屋のようにもっとも大切なもののみ渇望するでしょう。

 


ところで我々は長い年月をくだらないことをするために生まれてきたのだろうか、そういったもので心を悩ますために生まれてきたのだろうか

 


私達は長いとはいえ、有限のこのときを、ただもっとも価値あるもののために生きるべきではないのか、そのもっとも価値あるものに包まれて生きるべきではないのか

 


それなのにたとえ充分心掛けていても、少しでも気を抜けばすぐにでも価値の低いものに取り組んでしまう。

 


ただ1番だけ行う。2番を行わない、ただ1番だけ

 


空気が満たされていても、食事をせず、呼吸に専念するようにただ時を認識する。

 


次週に続く